とくでん書房

徒然なるままに日暮し

現実

バスが僕の軽トラを追い抜いた。

 

重量にすると数倍はあろうかという大型バスがなんとも軽やかに颯爽と僕の右車線を滑るように追い越した。

 

その刹那、自分の現実を見たような気がした。

 

松山自動車道土居インター手前、僕の軽トラはここで降りるために左のウインカーを出した。その直後、松山発大阪行きの大型バスが僕の軽トラの存在を認識すらしていない様子で追い越していった。

 

別に悲観しているわけではない。

そもそもそんな年ではない。

単に、ああ、これが今の僕の現実なんだと爽やかに染みただけ。

 

都会に憧れ、自分が何者かわからなかった時代を経て、結局何物にもなれなかった僕が地元で小さな仕事をしている。

大型バスではなく、大阪行きでもない。

 

もちろん現実を受け入れていないわけではない。

とっくに受け入れている。

ただ、自分のたっている場所を再認識できた、というだけ。

 

強がりでもなんでもなく、

大型バスが、大阪行きが羨ましくはなかった。

 

心穏やかに大型バスを見送った。

 

じゃあね。

正解

「あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない

一番大切な君と 仲直りの仕方
大好きなあの子の 心の振り向かせ方
なに一つ見えない 僕らの未来だから
答えがすでにある 問いなんかに用などはない」

 

正解などない世界にあって、それでも自分なりの正解を求めようとする若者の成長は頼もしく、それでいて我心には重い。

 

大小はあろうが、大人はそれぞれ自分の中の正解を持っているものだと最近感じさせられる、正しいかどうかは関係なく。正解はない、と言いながら正解を求めるのは、自分の正解と他人の正解を議論し、より良い何かを期待しているからだと思う。

 

残念ながらそれが自分にはない。

特に最近は自分の正解がない。

いや、ないのではなく、わからない。

本当に分からないのだ。

だから人と議論はできない。

人の正解を聞くだけで、その人への相乗効果も提供できない。

まったく子供みたいだ。

 

先の参議院議員選挙では、各候補者が自分の考えを、つまり自分の中の正解を話されていた。それはある人にとってはとんでもない間違いかもしれない。でも、その人の中では正解なのだ。否定的な意見とは単に自分の正解と違うだけのことかもしれない。

様々な正解が集まり、議論されることによってより良い世界に向かうことができるとすると、その否定的な意見も必要なのだろう。

 

割と自分の中の正解がもやもやな感じで人とお話をするのはしんどいものです。否定も肯定もない・・・。

なさけない、という声が聞こえてきそうですが、逃げるは恥だが役に立つ。というのはいかがでしょうか。

 

なんつって。

おれはOOOをやめるぞ

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結論から言おう!

 

 

 

おれはiPhoneをやめるぞ!

 

 

そう、はじめのスマホandroidだった。

バージョンアップに連動してもたつく動作。

※クリーンアップなる意味不明の作業をよくしていた。

そしてiPhoneへの憧れ。

そんなことから、数台使用したandroidからiPhoneにしたのは6年ほど前。

 

超ステキ。

ヌルサク。

アクセサリーも豊富。

何と言っても所有欲が満たされる。

 

iPhoneサイコー。

みんなが使うのワカル―。

 

と思い続けていたものの。

 

近年では。

 

Windowsとの相性ワルスギ―

※ちなみに、androidだと、パソコンとのファイルのやり取りなどドラックアンドドロップって感じでやり取りできます。よね。

そもそもパソコン画面上でスマホ操作できますよね。

 

②汗かいた状態で電話撮ると水没状態になって相手の声キコエネー

 外のオシゴトなので夏場は電話とる時にビニョウに耳から離すようにしています。それでも気を抜くと水没。必死に服で拭くもキコエネー。

 

➂電話アプリツカイニクスギー

 電話かける時に、相手名前で検索するか、右のチッチャナスクロールで移動。

 メンドインジャ―。ヤリニクインジャ―。

 他の電話アプリもおんなじ。

 というか、他の電話アプリナサスギー

 

とはいえ、

iPhoneの長年つかえる安定性やデザインはもちろん良いと思います。

 

だども

だども

 

もう我慢なんねー。

 

JOJO

 

Revolution

【問】

Revolution

 

この後に続く言葉を記述しなさい。

 

カッチ

 

カッチ

 

カッチ

 

時間です。

 

正解は・・・

 

「ノートに書き留めた言葉

明日を遮る壁乗り越えていくこと」

 

わかりますでしょうか。わからないでしょうか。

世代でしょうか。どうでしょうか。

別に年齢を隠しているわけではないので書いてもいいですが私は26歳です。

 

曲名は、そう

TMNETWORKの「SEVEN DAYS WAR」です。

 

ぼくらの七日間戦争」という映画の主題歌だったですよね。宮沢りえが出てて。

 

私はこの映画もちろん見ましたが、その前の原作の小説の方を先に見たような記憶があります。

宗田理さんの作品です。

 

その後、ぼくらの~シリーズで何作も出すのですが、私も好きでよく読んでました。

 

と、書きながら調べてみると。

小説が出たのが1985年。私が10歳の時。

映画化されたのが1988年。私が13歳。中学生。

 

思春期の何とも言えない大人への反抗心が共感され小説も映画も大ヒットだったと記憶しています。

 

そしてその10年後の1995年。

テレビドラマで放送された、いしだ壱成主演の「未成年」。

これも「ぼくらの七日間戦争」のように、大人や社会への不満を描いたドラマでした。記憶では。カーペンターズの曲が妙にマッチしていました。

 

今の子供たちもあの頃と同じように、大人に社会に不満を持ってて、抗い続けているのでしょうか。

 

ちなみに、ドラマと言えば、昔好きだったドラマがありました。

坂井真紀さん主演の「私の運命」です。

2クールにわたって放送されました。

2部の方はいまいちでしたが、1部の方はとても好きでした。

 

これで私は坂井真紀好きになり、周りから変わった人扱いを受けることになったのでした。

アポロ計画

恐縮ですが少しだけまだ疑っていたりします。

 

今から52年前の1969年7月人類は初めて月面へと降りたちました。人類の大いなる進化を象徴するその出来事は世界へと中継され、日本ではNHKでの放送だったようですが、60%を超える視聴率だと何かに書いていました。

 

それから今に至るまで実に50年以上月面への降り立った人間はいません。

 

昭和44年です、日本では大阪で万国博覧会が開催されました。浦沢直樹さんが書かれた「20世紀少年」ではケンジは小学4年生、作中での風景は古き良き昭和の時代の香りを感じることができます。

 

その時代とデジタル化された現代との技術ギャップはものすごいものがあります。

そのギャップと、52年前の人類到達と現在のギャップが相対的にうまく一致しません。

 

ギャップを一致させると、月に初めて降り立った52年後は月に家でも建っていてもいいくらいです。

 

当時から、これはソ連との宇宙開発競争の為に地球で撮影された、つまり捏造されたものではないかという疑惑はあったようです。

月面の旗が揺らめくなど、いくつもの疑惑が出てきましたが、それらの疑惑は科学的にキッチリと解明されています。

また、この間「行けない」のではなく、「行かなかった」、つまりコスパ悪かったというのもネットで検索すると説明してくれています。

そう、だから科学的には争う余地のない厳然たる事実です。

 

わかっているつもりなのですが、なんか、もやっとしてしまうのです。

 

今般のアルテミス計画でこのもやもやを解消して頂きたいと思います。

楽しみです。

 

アポロ計画とは (アポロケイカクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

コスト

現在、国家公務員の接待に対して国会が紛糾しています。その是非はともかく、今回特に気になったのは野党のなんとも楽しい質問。

「何を食べたら7万円になるのですか」と総理に聞く。考えて考えて出た質問がこれだったらなんとも言えません。この問題に興味もないけど、何か質問しないと的に無理やり絞り出した質問みたいです。

この質問にかかる時間のコストはいかほどかと心配してしまいます。

多分この質問は、国民とのお値段意識の差も指摘したいのでしょうが、その辺りに国民を馬鹿にしている感がとてもとても存在します。

お願いですから国民代表みたいな顔で質問しないでください。

是非ともご自分にかかるコストをちゃんと考えて、そのコストを有意義に使って頂きたいです。

尚、超個人的な見解ですので、よろしくお願い致します。

ナクナラナイモノ

何も言わず語りかけている。

いや、見守っているという表現の方が近いのかもしれない。

 

取引業者からもらったものだろう、裏に会社名の入った何の変哲もないどこにでもあるカッターナイフ。値段にすると200円程度だろう。

 

瓦職人の私のなかで、道具の中では取り立てて重要視していない道具だ。

よく無くしものをする私のなかで、無くなっても特に気に留めない道具だ。

 

でもなくならない。

今まで何度もカッターナイフを買っているはずだ。

でもなくならない。

 

まるで、私が職人として一人前になるのを見守っているかのように。

その時がくるまで決して離れないという意思があるかのように。

 

そのカッターナイフはある人から頂いたものだった。頂いたという大袈裟なものではなく、現場で少し借りた時に、「やるよ」と言って渡されたものだった。

 

亡くなってから10年。そのカッターナイフは今も何も言わず語りかけてくる。