とくでん書房

徒然なるままに日暮し

記憶③

大いに困惑した。

 

いや、俺の妻なのは確かだし、そこはその通りなんだが、随分若い。それに隣にいる子供は俺の少年時代にそっくりだ。

そもそも俺に子供はいない。

 

ちょっと後ずさりながら発した言葉は、

「シンジ、気に入ったペンはあったか」

だった。

頭の中で言おうとした言葉ではない。

それに子供の名前をなぜか知っている。

 

目の前の2人は怪訝そうな顔をしていたが、

じゃあ帰ろう、という俺の言葉で歩き出した。

 

何をどう聞いたらいいのかわからないまま、口だけは勝手に会話を続けていた。

会話は違和感なく、そして子供や妻は笑いながら対応している姿を見ると俺は俺であっているようだ。

 

もしかして今までの記憶が間違っていたのか。

そう思えるほど俺たちは自然だった。

学校の話、妻の職場の話、全部俺の口は知っていた。頭の中では何も知らないのに。

 

どうやら自宅が近くなったようだ。

俺はもう俺の口に従い新しい生活を受け入れようと思いだしていた。

 

そして、それを決意して、口に勝手に話させず、自分の口で、改めて子供の名前を呼んだ。

 

「シンジ、もうすぐうちだな」

 

 

そこに子供と妻はいなかった。